
"殺処分ゼロの国"ドイツの動物保護施設が直面する資金難・過密・安楽死の実態
「ドイツには殺処分がない」——日本の動物愛護の文脈で、この言説は半ば常識のように語られてきた。その象徴として挙げられるのが、ドイツ全土に広がる動物保護施設『ティアハイム(Tierheim)』の存在である。しかし、環境省が2017年に実施した訪独調査報告書、そしてドイツ動物保護連盟(Deutscher Tierschutzbund)が2024年に公表した最新の調査データは、この理想化されたイメージとは異なる現実を浮き彫りにしている。本稿では、一次資料に基づき、ティアハイムが直面する構造的課題を多角的に検証する。
ティアハイムとは、ドイツ語で『動物の家』を意味する民間運営の動物保護施設である。連邦政府のアンケート調査によれば、ドイツ全土に約1,418カ所のティアハイムが存在し、そのうち550カ所がドイツ動物保護連盟に加盟している。ティアハイムの定義は、①10頭以上の動物を飼育していること、②動物と飼育方法の専門知識を有すること、③その専門知識が行政の獣医師に認められていること、の3要件を満たす施設とされている。
ティアハイムは単なる保護施設ではなく、迷子動物の保護収容、飼い主からの引取り、医療ケア、行動矯正、そして新しい飼い主とのマッチングまでを一貫して担う社会インフラである。環境省報告書によれば、連盟加盟550施設のうち80%が、本来は行政が担うべき業務——すなわち迷子になった犬猫の保護収容等——を代行している。ドイツでは、道で放浪している犬を保護するのは行政の仕事とされているが、実態としてはティアハイムがその役割を引き受けているのである。
ドイツ全土のティアハイム数
出典:ドイツ連邦政府アンケート調査
ティアハイムの最大の構造的問題は、資金である。ドイツ動物保護連盟のトーマス・シュレーダー会長は2023年10月、自治体が2022年に徴収した犬税(Hundesteuer)が過去最高の4億1,400万ユーロ(約680億円)に達したことを受け、痛烈な批判を行った。犬税は自治体の一般財源に組み込まれ、動物保護に目的税として還元される仕組みは存在しない。

シュレーダー会長は『毎年4億1,400万ユーロの犬税を徴収する者が、動物のために献身する人々を市役所の門前で物乞いさせることは許されない』と述べ、犬税収入の少なくとも半分をティアハイム支援基金に充当するよう求めた。環境省報告書でも、ティアハイムが行政の委託業務に要する経費の半分程度しか行政から受け取れていない実態が記録されている。
ティアハイムの資金構造(ハノーファーの例)
出典:環境省訪独調査報告書(2017年)
ベルリン・ティアハイムは、ヨーロッパ最大の動物保護施設として知られる。職員160名、ボランティア500名を擁し、サルから爬虫類まで約1,400頭を収容、年間の引受数は約1万頭に上る。施設の整備費用は3,000万ユーロ(約35億円)、年間運営費は890万ユーロ(約14.5億円)である。首相官邸を設計した建築家がデザインしたこの施設は、太陽光発電と地中熱ヒートポンプシステムを備えている。
しかし、ブランデンブルグ州政府の担当者は環境省調査団に対し、率直にこう述べている——『ベルリン・ティアハイムには豪華すぎるとの批判もある。あれは特例のなかの特例。ベルリン・ティアハイムを一般的な施設だとは思わないでください』。実際、ベルリン・ティアハイムですら、ある年には500万ユーロの赤字を計上している。市の補助金は一切受けておらず、遺贈・寄付金・1万5千人の会費収入のみで運営されている。
ベルリン・ティアハイムには豪華すぎるとの批判もある。あれは特例のなかの特例。ベルリン・ティアハイムを一般的な施設だとは思わないでください。
— ブランデンブルグ州政府 Dr. Claudia Possardt(環境省訪独調査報告書)
一般的なティアハイムの実態は、これとは大きく異なる。報告書によれば、普通のティアハイムはホームセンターで資材を購入したり、建材の寄付をもらったりして、手作りで施設を建設している。ハノーファーのティアハイムの例では、職員53名で年間4,400頭を受け入れ、運営費240万ユーロのうち自治体からの助成は約20%に過ぎない。しかもその助成額は年々カットされている。
ドイツ動物保護連盟が2024年に実施した調査は、ティアハイムの過密問題の深刻さを数字で示している。調査対象施設の69%が収容率を『非常に高い』以上と回答し、49%が満杯または過密状態にあると報告した。受入余力があると回答したのはわずか18%に過ぎない。82%の施設が2022年以降に収容動物数が増加したと回答しており、受入停止を繰り返し行わざるを得ない状況が常態化している。

ティアハイムの収容状況(2024年調査)
出典:Deutscher Tierschutzbund, 2024
過密の背景には複合的な要因がある。74%の施設が『病気の動物が増えており、譲渡が難しく長期収容になる』と報告している。また、東欧(主にルーマニア)からの犬の流入も深刻な問題である。毎年10万頭以上の犬がEU他国からドイツに輸入されており、感染症対策や予防接種が不十分な個体が病気と判明してティアハイムに持ち込まれるケースが後を絶たない。
『ドイツでは殺処分がない』という言説は、厳密には正確ではない。環境省報告書は、ドイツ連邦食料・農業省の担当者の証言として『ティアハイムでの安楽死の統計はない』と記録している。統計が存在しないことと、安楽死が行われていないことは、まったく別の事実である。
ベルリン・ティアハイムでは安楽死を『ほとんど行っていない』としつつも、年間10頭未満は実施していると報告されている。安楽死の判断は委員会で慎重に行われ、『非常に大きな苦しみがある場合』に限定される。裁判判例では、猫の手術費が1,500ユーロ(約18万円)かかる場合であっても安楽殺してはならないとされ、治療が可能である限り治療が前提となる。
一方で、ハノーファー獣医大学の専門家は、仲介できなかった犬については安楽殺している可能性があることを示唆している。また、危険犬については、人間を2名死亡させた犬など極端なケースで安楽死が行われた事例もある。ただし、危険犬の法律ができてから処分された犬は5頭以下とされている。重要なのは、ドイツの動物保護法が安楽死を全面的に禁止しているのではなく、動物福祉の観点から『苦痛からの解放』として位置づけていることである。
ドイツでの殺処分の現状については、ティアハイムでの安楽死の統計はない。ただ、実際の例で言えば、猫が事故にあった手術費が1,500ユーロかかる場合であっても安楽殺してはならないという裁判結果があった。治療が可能である限り、治療が前提となる。
— ドイツ連邦食料・農業省(環境省訪独調査報告書)
ベルリン・ティアハイムのデータによれば、犬の平均譲渡期間は148日である。しかし、危険性があるとされた犬種については448日——約1年3カ月——を要している。これは、危険犬種の飼育が許可制となっており、家主の承諾を含むベルリン市への書類準備に時間がかかるためである。ブランデンブルグ州では危険犬の飼育が禁止されているため、ベルリン市内にしか譲渡先がないことも期間を長期化させる要因となっている。
犬の譲渡までの平均日数(ベルリン・ティアハイム)
出典:環境省訪独調査報告書(2017年)
全国的にも、ティアハイムに入ってくる動物の数は減少傾向にあるものの、高齢化し病気の個体の割合は増大している。これにより、一頭あたりの医療費と収容期間が増加し、施設の財政をさらに圧迫する悪循環が生じている。
ドイツ動物保護連盟は、750以上の動物保護協会が運営する約550のティアハイムで合計約1億6,000万ユーロ(約260億円)の資金不足が生じていると試算している。にもかかわらず、2026年の連邦予算ではティアハイム支援の予算がゼロとなった。連邦政府は連立協定で約束した動物保護施設のための消費者財団を実現しておらず、連盟は『自治体は動物保護施設を、国家の失敗を片付けるための手段として悪用してきた』と厳しく批判している。
ティアハイム全体の推定資金不足額(約260億円)
出典:Deutscher Tierschutzbund, 2024
ティアハイムの実態を正確に理解することは、日本の動物保護政策を考える上で重要な意味を持つ。ドイツのシステムは、175年以上の歴史を持つ市民社会の動物保護活動、基本法(憲法)への動物保護条項の明記、そして寄付文化という社会的基盤の上に成り立っている。これらの条件を無視して制度だけを移植することはできない。
同時に、ドイツの事例は、民間主導の動物保護システムが構造的な資金不足に陥るリスクを示している。行政の責任と民間の献身のバランスをどう設計するか——この問いは、日本においても避けて通れない。日本の犬猫殺処分の現在地で分析したとおり、2024年度の殺処分数は6,830頭まで減少したが、保護施設の現実と譲渡の壁で詳しく述べたように、全国の動物愛護センターやボランティア団体が直面する資金・人材・スペースの問題は、ドイツのティアハイムと本質的に同じ構造を持っている。都道府県別のデータは日本データマップで確認できる。
ティアハイムの『光』——すなわち動物福祉への深い社会的コミットメント——から学ぶべきことは多い。しかし、その『影』——慢性的な資金不足、過密、統計なき安楽死——を直視することなしに、実効性のある政策議論は成り立たない。データに基づく冷静な分析こそが、動物と人間のより良い共生への第一歩である。

記事監修
獣医師 / 株式会社Buddies CEO
東京大学農学部獣医学専修卒。臨床獣医師・ペット栄養学講師。タイ・ベトナムでの獣医ボランティア、ウガンダ国立遺伝資源研究所でのリサーチフェローを経て、保護犬の犬材派遣会社・株式会社Buddiesを設立。女性起業チャレンジ大賞グランプリ受賞。NHK『おはよう日本』出演。
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